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2013年5月 2日 (木)

判決がくれるもの~いじめ裁判はなぜ起こるのか

http://www.futoko.org/news/page0921-2768.html

いじめ事件では、いじめた側に対する社会的制裁が加えられます。例えば、退学・停学処分になるから始まって、いわゆる世間の攻撃から、その地域には、いられなくなり転居するまで。いじめた側は、加害者ですからある程度の制裁があってもいいのかもしれません。もちろん、行き過ぎた制裁はよくないと思いますが。問題は、いじめられた側にも制裁が加えられるということです。
具体的には、個人情報がさらされる、いじめられた側にも責任があると責められる、親の躾の問題だといわれるなど。個人情報は、自分のいいことをさらされるのは納得するでしょう。しかし、誰にも触れられたくないこともあります。そこをさらされるのは、一種の制裁と言えます。報道や噂、最近ではネットなどで、いじめられた側のセンシティブな情報も暴露されます。しかも、事実ではない情報も流れます。これは、何も問題がない状態の人でも、けっこうこたえます。それが、いじめられてこころがずたずたになっている状態なら、ダメージはもっと大きいです。
いじめられた側にも責任があると言われるのも、同じです。そもそもいじめられた側に責任はありません。いじめとは、いじめる側に100%責任があります。そんないわれのない攻撃を受けるのですから、こころは疲れきってしまいます。
さらに、親の責任まで言われると、じゃあ、正解の子育てってなに?と問い返したくなります。子育ては結果論です。しかも、結果が出ない結果論です。ですから、責任の取りようがありません。なのに、責められる。
こういった、被害者が、加害者から被害を受けたあと、違うところからも被害を被ることを、「セカンドレイプ」と言います。狭義には強姦の被害者について言われますが、今はその範囲が広くなっているようです。これを受けた被害者が、ずたずたになったこころを背負って、しかし、本当に自分に責任があるのか、明らかにしたくなるのも当然でしょう。
被害者に責任はあるのか。これを判断するのに唯一の場所が、裁判所です。裁判によって、どちらに責任があるのか、明らかにします。ですから、裁判という手段に出るのです。よく、お金ほしさだろうと言われますが、あたっていません。裁判でしか、自分の潔白を証明できないからです。
被害者には責任がないことを証明するのに、これだけの手間隙がかかるのです。しかも、裁判は一般市民の感覚で行われません。あくまで法律の枠内での判断です。ですから、勝訴の判決をもらっても、問題の解決にはならないかもしれません。しかし、でも、その証明が被害者を、少しでも救うのです。少しの救いのための裁判なんです。
被害者は、いつまでも、全面的に救われないのかもしれません。僕たちは、そんな被害者のこころを大事にしていきたいと思います。間違っても、傷つけるようなことは慎むべきです。

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