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2014年4月14日 (月)

保育の専門性~おむつがかえられたら先生になれるの?准保育士に思う

http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2014040902000113.html

准保育士、なるものが考えられているようですね。保育士の数が少ないから、資格を取りやすくして保育者を増やそうと。まあ、ばかばかしいと一蹴するのは簡単ですが、どうしてそんな発想になるのか、考えてみます。

戦前、小学校や中学校の先生は、師範学校で勉強したんです。今の教育大学で、昔は師範学校だったなんてところ、けっこうあります。でも、それだけでは先生が足りなくて、教員養成のためだけの教員養成所を作り、大学で教育を勉強しなくても免許を出したんですね。この教員養成所は、今も横浜と福岡にあるようです。課程は1年。小学校と幼稚園の教員免許が取れるようです。もちろん、この免許は特別なものではなく、大学で勉強してとれる免許と同じものです。

先生は、勉強を教えるのがメインの仕事と考えられていたんでしょうね。で、小学校や中学校の勉強は、卒業したらわかっているとみなされて、だったら教えられるだろうと。これがいかに乱暴な考えかは、今の教科教育法研究の進歩を見ればわかります。

さて。戦後は、教育について大学や短期大学でしっかり勉強してからでなければ免許が取れなくなりました。しかし、戦後の先生不足は深刻で、教育大学卒の先生だけではまかないきれないということで、教育学部卒でなくても免許が取れるようにしました。これは今でも生きています。

この、教員養成課程でなくても教員免許が取れる発想は、たとえば経済学部なら経済について専門的な知識を持つと。その専門的な知識を教育に活かせるという発想なんですね。つまり、経済の専門家として経済を教える先生にしようと。やはり、先生は勉強を教えるだけでいいと考えているとしか言えません。

今の学校は、勉強教えるだけで済むほど単純なところではありません。生活指導も同じくらい、いやそれ以上にしなければなりません。経済の勉強ばかりしてきた人が、先生になっていきなり生活指導ができるでしょうか。無理ですね。

ところが、それをさせている。これは、生活指導が「誰でもできる」指導であると考えられているからではないでしょうか。勉強は勉強ができなければ教えられないが、生活については生きてきた以上そのスキルはあるはず。誰でも子ども時代はあったんだからなおさら。だから教えられるだろうと。

この考えで、保育も考えられているのかなと思うんです。子育てをしたことがある人は、おむつを替えたりミルクをあげたりするスキルはあるでしょう。しかし、お友達とのトラブルをうまく指導するスキルはありません。体のケアはかろうじてできても、生活指導はできないんです。子どものけんかをうまく解決できなくて、そんな先生にわが子を預けたいですか?

教育も保育も、しろうとさんがいきなりやってできるほど簡単なものではありません。プロのスキルが必要なんです。そのスキルを証明するのが、免許なんです。だから、安易に出してレベルを落としてはいけないんです。

数が足りないから乱発する。悪貨が良貨を駆逐することになる、そんな制度は愚の骨頂だとわかってほしいですね。

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