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2015年2月26日 (木)

あほな大人に出会うこと

先日パパサークルの記事を書きました。パパサークルのイベントって,けっこう「あほな」ことやってるんですよね(ここでいう「あほ」というのは,関東で言う「ばか」のことです。私が関西の人ですので,ここでは「あほ」と言います)。たとえば,バットを地面に立てておでこにつけて10回まわってからダッシュして記録を競うとか,靴を飛ばして距離を競うとか,自転車をいかにゆっくりこげるかとか。将来に何のいいこともないような,なんともあほなことやってるんです。もちろん,そんなあほなことやってるサークルばかりではないですよ。まじめに,建築士のお父さんを中心に秘密基地を基礎から建てたり,畑やったり,キャンプやったり,新聞紙を何日分もびりびりに破って部屋にぶちまけて喜んだり。とてもまじめなことやってるところもたくさんあります。

さて。そんなあほな大人と出会うことって,実はとても教育的なことなんです。ちょっと考えてみてください。田中正造。当時の議員さんですから地位も名誉も金もある人だったのに,銅山の毒によって苦しんでいる人たちのために私財をなげうって立ち上がって。「賢い」人なら,自分の地位や財産をなげうって人々を助けることはしないでしょう。実際彼もまわりから「あほ」ちゃうって言われて。でも彼が立ち上がったから,「公害」という概念が日本に根付くきっかけになったんです。
もちろん今は誰も彼のことを「あほ」ちゃう?なんて思いません(でも最近,田中正造をネガティブにとらえる発言をした議員さんがいましたね)。私が問題にするのは,当時の世間の考えです。同じこと,いまの世間も考えがちなんじゃないでしょうか。私の印象なんですが,どうも世間が「賢い」ことばかり望んでいて,「あほ」なことを極力避けようとしているような気がするんです。「賢い」ことって,危険を避けて効率よく自分に価値があるようなこと。
でもね。実はそんな「賢い」ことばかりで社会は動いていないような気がするんです。田中正造みたいな「あほ」なことをやる人もいて,それで社会が回っている。つまり,今「あほ」なことも,将来それが社会を動かす大きな力になることもあるんじゃないかって思うんです。そしてどの「あほ」が大きく社会を動かすかだれも予想できない。
ですから,「あほ」なことをするチャンスを子どもたちに保障することは,これからの社会を動かすために絶対必要なんです。パパサークルで「あほ」なことやってる大人を見て,子どもは「あほ」なことをすることの楽しさを知るでしょう。そして「あほ」なことをしだすでしょう。それが,次の社会を動かす大きな車輪になるのです。「賢く」生きることを強要するだけでなく,子どもが「あほ」な生き方できるようにする。これは教育なのです。
余談です。小崎恭弘さんの本に「あほ」なことをする子どもが理解できない親御さんが出てきますが。私が思うにたぶん,親御さんが「賢く」なりすぎているのではないかと思います。もちろん,「賢く」なることはまったく正しいことですし,「あほ」が理解できないのもまったく問題ありません。ここは「わからない」ないけど「ゆるす」態度がいいのでしょうね。

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