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2015年3月19日 (木)

在宅介護と子育て

先日ある研究会で,自宅で介護をしている家族がたいへんな生活をしている実態の報告を聞く機会がありました。調査した家族のほぼ全員が,
1頭痛や高血圧などなんらかの身体的症状や,イライラしたりむなしさがあったりといった精神的症状が出ている。
2仕事や自分の時間が減っていて限界に達している家族が多い。
3経済的に困難な家庭ほど,家事や仕事などにおいて限界に達していることが多い。
という話でした。
これらは,僕もホームヘルパーとして高齢者のおうちに入ってご家族を見ていて感じることです。ご家族は本当にしんどい思いをして介護をされています。それでも笑顔でお年寄りに接しておられるご家族もおられるので,一見した限りそんなにしんどい思いをされていないように見えます。でも,お話を聞いているうちに,しんどい思いを語ってくださるご家族が多いです。
家で介護するっていうのは,自分の人生を切り刻んでお年寄りのために使うことです。そりゃ,暇がたくさんある人なら自分の時間を使うことに抵抗はないでしょう。また,昔みたいに家に人生を捧げるのが当たり前の時代ではありません。今はみんなが忙しいんです。みんなが自分の人生を生きることができる時代です。そんな現代においてまだ,自分の人生を家族に捧げなければならない人たちがいる。介護の世界はなんて遅れた時代なんだろうと思いました。
さて,家族はそんなたいへんな思いをしてまで,なぜお年寄りの介護をするんでしょう。家族が介護するそのモチベーションはどこにあるのか。僕は前から不思議に思っていました。そこで,発表した人に,家族のモチベーションについて聞いてみたんです。
発表した人が言うには,家族は「私の役目だから」やるんだと話していたとのことです。自分は家族として家族の面倒を見るのは当たり前だ,と。
たしかにそうでしょう。家族なんだから。家族が自分で生きていけなくなったら家族が面倒を見るのは当然のことでしょう。それが自分の親だったら,親孝行するのは社会の美徳です。しかし,自分の体をこわしてまで,自分の時間をなくしてまで,自分の仕事をやめて収入を減らして生活水準を下げてまで,面倒を見なければならないのでしょうか。
僕は,家族はそこまでしてまで面倒を見るいわれはないと思います。昔の日本ならいざ知らず,今の日本は個人の人生を最大限尊重する社会のはずです。家族の面倒を見るのは美徳ですが,それも体をこわさない程度に,自分の時間をなくさない程度に,仕事をやめないでもいい程度に,面倒を見ることができるのが当たり前じゃないでしょうか。
基本的人権の中には,健康に自分の人生を生きる権利があります。今の在宅介護のあり方は,まさにこの基本的人権を侵害していると言えるのではないでしょうか。家族が助け合って生きるのは美しい。これは認めます。しかし,昔は家族のために(もちろん,家族のために「だけ」人生を犠牲にされたわけではありませんが)自分の人生を犠牲にされた人がたくさんいました。これからはそんな人を出さないようにしようと,憲法は個人の基本的人権を軸にした社会を設計したはずです。在宅介護が家族の人権を侵害するのであれば,これは全然美しくありません。家族みんなの基本的人権が守られる家族こそが美しい家族ではないでしょうか。そして,そんな美しい家族を実現するために,政治がしなければならないこと(というか,しなければならないのにしていないこと)はたくさんあると思います。
なお,この文章の「介護」を「子育て」,「お年寄り」を「子ども」,「家族」を「親御さん」に置き換えても,まったく成り立ちます。介護と子育ては,同じ根を持つ問題だと思います。
さらに。僕は,自分を犠牲にして家族に尽くしたいと思う気持ちを否定するわけではありません。それはあくまでも,家族のために自分を犠牲にしなくてもいい社会の中で自由にそう考えるのであれば,ですが。

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