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2015年4月11日 (土)

自分の思いでものを見ないこと~子どもを「こうあってほしい」で見ないでほしい

男性の暴力に反対するセミナーに参加したときのことです。そのセミナーで,男性の暴力をなくすためにはどうすればいいのか,参加者で感がるコーナーがありました。そこで出てきた発言です。
「大人の男性はもう考えを変えることができないので,まっさらの子どもを,暴力を振るわないように教育すればいい。」
僕はこの言葉に強い違和感を持ちました。
まず,「大人の男性はもう考えを変えることができないので」の部分。これは誤りです。大人の男性であっても考えを変えることはできます。多くの刑務所でされている実践や,薬物常習者やアルコール依存症患者,性犯罪者などのためのワークショップの実践をご覧ください。一定の成果をあげてます。大人でも変わることができるんです。
そもそも人を変えるためには,まず教育的技術が必要です。教育の場面といえば学校ですが,学校での実践は,ただなんとなくやってるのではなくて,教育理論と,長年多くの教師によって作られた実践に基づいています。教師は,その理論と実践から得た知識に基づいて指導しているんです。教師のプロたるゆえんですね。
ただ,子どもを教育する実践はたくさんありますが,大人を教育する実践は,あまり聞きませんね。大人を教育するって言われてピンとこない人がいてもおかしくありません。実は,たくさんあるんですよ。職場で新人教育するでしょう。あれなんかも教育なんですよね。また,上司が部下を指導するなんてのも,あれも立派な教育です。そういう大人への教育は,世の中ではあまり注目されてきませんでしたが,社員教育の世界ではたくさん蓄積されているんです。そういった蓄積を利用したら,大人への教育もまったく可能です。先ほどあげたワークショップの実践も,もちろんです。そういった蓄積を集めれば,大人への反暴力教育はじゅうぶんに可能です。
また,人を変えるためには,その人の環境を調整するケースワークも必要です。子どもなら,子どもにとっての社会は,学校と家庭でほとんどでしょうから,学校と家庭を調整すれば何とかなりそうだと考えてもおかしくありません。大人なら,薬物が問題ならその人が薬物を手にすることができないようにするとか,性犯罪者には犯罪を誘発するようなことから遠ざけるとか。そんなことができるのかって思うかもしれません。薬物依存や性犯罪なら,強制的に遠ざけることもできそうですが,普通に生活している人から暴力を誘発するようなものを遠ざけるのは不可能に思うかもしれません。でも,できるんです。自分にとって暴力を誘発するようなものが何なのかを知ることによって,自分から遠ざかることはできますね。そのためには,まず自分にとっての暴力誘発剤が何なのかを知ることと,遠ざかり方を知ることです。これはけっこう手間と時間がかかりますが,可能なことです。
次は,子どもはほんとうに「まっさら」なのか,です。
子どもの会話を聞くと,大人が使う言葉がたくさん出てきます。「リア充」とか「女子力」とか。きちんと意味がわかって使っていたりします。テレビや大人の会話などを聞いて,言葉と同時に大人の考え方を吸収しているんです。つまり,子どもであっても,大人社会の影響をもろにかぶっているんです。子どもは子どもの世界「だけ」に生きているのではないんです。決して「まっさら」ではないんです。大人の部分も持っているんです。純真無垢な子ども,っていうのが一般的に言われている子ども像だと思いますが,実際はそうではありません。
大人なら,違った考えを持っていても,自分でその考えを修正する力をある程度持っていますが,子どもはその力をあまり持っていません。そもそも反省する思考が育っていませんから。ほんとうは,大人の考え方を変えるよりも子どもの考え方を変えるほうがより難しいんです。小学校で聞く話ですが,学校に入る前に覚えた違った書き順を,正しい書き順に直すのがとてもたいへんなんです。大人ならそれはたやすいでしょうけど。子どもへの教育のほうが,実は大変なところもあるんです。
さらに,純真無垢な子どもに反暴力をたたき込んだら,暴力肯定的な大人の世界に入っても暴力を振るわなくなると。そう思っているのか,そう思いたいのか。生まれたてのアヒルは,最初に見たものをお母さんだと思うという,いわゆる「刷り込み理論」ですね。実は暴力をふるう大人も,小さい頃は「人をたたいてはいけません」を,それこそたたき込まれてきたんです。暴力をふるう大人も(そして子どもも),「人をたたいてはいけない」ことぐらいわかってるんです。でも,たたくんです。そもそも人間は,アヒルよりもはるかに複雑な動物です。ことはそんなに簡単ではありません。簡単ではない問題を簡単にできそうだと思うものに作り替えても,これでは解決になりません。
つまり,大人を変えるのは手間と時間がかかるからたいへんそうだし,もし子どもが純真無垢であれば,そんな子どもを相手にしたら手間と時間をそんなにかけなくてもなんとかできそうだ,だから子どもを変えるほうに考え「たい」のでしょう。だから,大人は変わらないと「思いたい」し,子どもは純真無垢だと「思いたい」のでしょう。だから,大人や子どもの実際の姿が見えなくなっているのではないかと思うんです。大人は変わらないから,で面倒なことをしなくてもいわけですからね。子どもをしつけるという,簡単だと思われることだけやっておれば満足なんですね。そこに僕の違和感があるのです。
反暴力に限らず人を変えるときには,「こうあってほしい」といった自分の思いにじゃまされずに,まずは「こうある」を純粋に見て,そして手間暇をかけてじっくりやっていきたいです。

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