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2016年5月 6日 (金)

学校の多忙さと民主主義的な教育

昨日は大阪にフランスの教育事情のお話を聞きに行きました。話者の大津先生は体罰ネットでお世話になっており,フランス留学から帰ってこられたばっかりでフランスのお話を聞きたかったので楽しみにしていました。

お話の中で,フランスの教育では学校からいかに宗教をなくしていくかがテーマの一つになっている,とありました。その点質疑応答で,最近はフランスもイスラームの家庭が増えたが,宗教を否定する学校の価値観と宗教を大切にする家庭との間で矛盾はないのか,という問いがありました。フランスでは,学校は宗教をなくしていくが,家庭が宗教を信じることについては不問である,つまり学校では宗教を否定するがだからといって家庭で宗教を否定すべきだとは言っていない,家庭が宗教を肯定するのは勝手にやればいい,との立場だということでした。つまり,学校は家庭に教育観には口出ししませんよということです。

これ,日本ではどうかなと思って。日本では子どもをどういう人に育てるかについて,昔は教育勅語で決められていましたね,天皇のための臣民として育てると。戦後は教育基本法がそれにとってかわった。そこには子どもをどんな人に育てるかが書いてある。また教育基本法には家庭教育の条文もある。ということは学校も家庭も一緒になって法律に書かれているような子どもに育てなければならない。ですので,もし教育基本法に脱宗教が書いてあれば,家でも宗教を否定する子どもを育てろということになるんですね(もちろんそんなこと書いてないし書けませんよね)。ちなみに,日本でも教育基本法ができたとき,こんな基本法を作っていいのか,つまり子どもをどうんな人に育てるかなんて国が決めることじゃなくて個々の親が決めることじゃないか,それが民主主義なんじゃないのか,という主張もあったみたいです。フランスは多分こちらの考えなんでしょうね。

ちなみに,フランスでも学校では「共和制の価値を共有させる」ことになっています。共和制の国ですからね。共和制の国の教育としては共和制の価値を持ってもらうのを目標にするのは当然でしょう。その教育目標の中にライシテとわれる「脱宗教性」も入っています。でも,だからといって国民みんなが脱宗教をしなければならないわけではないです。宗教の自由は別にありますからね。だから,学校ではこうですけど個人がどう考えるかは自由,なんです。学校では脱宗教を教えても,子どもが宗教を信じるのは勝手なんですね。

とその場ではそこまでの話だったのですが。帰ってきて嫁とその話をしていたときに,はっと思ったんです。日本では国がこういう子どもに育てますを決めているんだったら,国が子どもを育てろと考えてもおかしくない。で,国の教育についての一番の出先機関は学校です。ですので,子どもの教育は学校がやれと。

そうすると,社会が子どもをこういう人に育てたいと思う,それを実現するためにその期待を法律に載せる。となると誰かが期待に応える教育しなきゃならない。誰がやるの?学校でしょと。だって教育の出先機関は学校なんだから。で,子どもをこう育てたいが増えてくると,その教育を担う学校の仕事も増えてくる。今は少子化で子どもへの期待が強くなってます。こう育ってほしいが増えてきています。となると,学校への期待もまた増えてくる。

ですので,いくら学校の先生などやお金を増やしても,社会の子どもにこう育ってほしいが減らないと,学校は肥大化するばかりでいつまでも今のまま忙しいことになってしまうということです。 学校の多忙なのは部活指導のせいだと主張して,部活指導をなくそうとする運動があります。たしかにそれは「今の」学校の多忙さの一つの原因ではあると思います。しかし,部活動をなくせば先生は暇になるかといえば,そうはならないでしょう。学校が社会の子どもにこう育ってほしいの受け皿になっていて,その期待が増えている以上は,学校の多忙さはなくなりません。部活指導がなくなっても新たな仕事が入ってきますから。 学校の多忙さをなんとかしなきゃならないのであれば,子どもへの期待の実現を学校に押し付けないことです。そのためには,子どもへの期待を法律という形で社会で共有することは極力避けて,子どもの教育を国民それぞれが独自の考えでやること。みんな同じ子どもに育てようとせず,それぞれの子どもの育ちでOKにすること。それが民主主義的な教育のある姿ではないかと考えます。
 

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