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2016年5月11日 (水)

正しさの違い~文科省は子どもの自殺を把握できていないのか

「中学生の自殺 文科省 半数把握できず」 http://bylines.news.yahoo.co.jp/ryouchida/20160511-00057538/

「気がかりなデータがある。警察庁が把握している中学生の自殺件数と、文部科学省が把握しているそれとを比べてみると、とくに近年、両者の間に大きな差が認められるのだ。 グラフを見てもらいたい。1990年代半ば頃までは、警察庁の数字と文科省の数字は似通っている。つまりこの日本社会で起きた中学生の自殺事案については、文科省もその実態をほぼ正確に把握していた。 だが、1990年代後半頃から、両者の間に大きな開きがみられるようになる。年によってその程度は異なるものの、文科省は毎年おおむね4~5割の自殺事案を把握していない。 たとえば2014年に関していうと、警察庁が99件であるのに対して、文科省は54件のみの把握にとどまっている。警察庁が把握した事案のうち45.5%について、文科省はその実態を把握できていない、「直視」できていないのだ」

統計を見るときの基本として,この統計は「誰が」数えているのかを確認しなければなりません。たとえば「スイカ」は果物か野菜か論争があります。果物派は「果物屋さんで売ってるから果物だ」とします。野菜派は「木になっていないから野菜だ」とします(注1)。実際数えるときは果物か野菜かを決めておきます(定義づけといいます)が,数える団体が違ったりして定義づけが違う場合もあります。すると,「果物」を数えるにしても,「スイカ」を果物に数える人(団体)が数えるか野菜に数える人(団体)かで数が変わってきますね。「自殺」であっても,数える人(団体)が違うと,あるケースを自殺と数えるか数えないかが違ってきます。すると,全体の数が変わってくるのは当然ですよね。

警察の統計では,警察の捜査によって自殺であるとしたものを自殺として数えています(注2)。学校では,「年度間に死亡した児童生徒のうち,警察等の関係機関とも連携し,学校が把握することができた情報を基に,自殺であると判断したもの」を自殺と数えています(注3)。つまり,これが自殺だと「判断する人(団体)」が違うということです。

なんだか哲学的な話になりますが,そもそもモノや現象は,後から誰かがある定義に基づいて「これはこうだ」と判断(分類)してはじめてそのものになる(または名前がつく)んです。スイカだって,誰かがそれを「スイカだ」って判断(分類)しなきゃ,スイカとして自然界にあるわけではないんです。もしスイカに違う定義を持つ人たちがいたら,その人たちの中では「これはスイカではな」くなります。そこで「これはスイカか」論争をしても,もともとのスイカの定義が違うんですから,平行線のままですよね。これは,どちらが正しいではなく,人によって正しさが違うんです。

警察の数え方が正しいと考える人にとっては,文科省の数えた数が少ないんですから,文科省の数え方では「把握できていない」と思うかもしれませんね。では,文科省の数え方が正しいとする立場から見ると,警察の数え方は,「自殺に数えようとしたがっている」ように思えませんか。立場が違うと同じ統計も見え方が違ってくるんです。そしてそれはどちらが正しいという話ではないんです。私は,正しさが違う人たちに対して「把握できていない」だとか「直視できていない」だとか,相手に自分の正しさをおしつけるような議論をしても,議論が平行線になるだけでなんにも得られるものはないと思います。

もっというと,理論的には,警察は自殺と数えていないけど学校はそうだと数えている,つまり警察が「把握できていない」ケースもあるということになりますね。ですので,学校が警察よりも把握できていないっていうためには,警察が数えた個々のケースと学校が数えた個々のケースをつきあわせて,学校が把握していて警察が把握していないケースはないことを確認しなきゃなりません。単純に数を比較するだけでは判断できないでしょう。

そもそもね。個々のケースが自殺であるかないかの判断(分類)を論争するよりも,その子の死をそのまま受け入れて考えるようにすることが大事ではないでしょうか。そうすると,その死を自殺と数えるかどうかなんて「どうでもいい」ことになるんじゃないかと思います。

そしてそういう態度が,亡くなった命に対するせめてもの供養になるんじゃないのかと思います。

(注1)果物と野菜の区別についてはこちら。明確な区別はないようです。 http://www.maff.go.jp/j/seisan/ryutu/yasai/yasai_teigi/

(注2)ちなみに,厚生労働省の「人口動態調査」における自殺者数も,警察の統計とは違っています。これも定義の違いです。その違いについてと,警察の自殺の定義についてはこちら。 http://www8.cao.go.jp/jisatsutaisaku/toukei/

(注3)http://www.mext.go.jp/b_menu/toukei/chousa01/shidou/yougo/1267642.htm

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