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2016年6月

2016年6月16日 (木)

「望まれない妊娠」を「望まれる妊娠」へ~朱雀高校のケースを考える


京都府立高校の3年生の生徒が,妊娠したため体育の実技が受けられず卒業できない状態になっています。学校は出産のために休学をすすめていますが,本人は来年の卒業を望んでいます。この高校は,この生徒に体育実技を免除すべきでしょうか。

この問題を考えるために,まず10代の妊娠についての世の中の考え方をまとめてみます。そもそも10代の妊娠は「望まれない妊娠」として世の中では歓迎されていません。たしかに10代での出産子育てというのは,もしかしたら落第しなければならなくなるかもしれない,そうなったらほかの子よりも卒業が一年遅れ,社会に出るのが1年遅れることになります。その子のこれからのキャリアに大きな影響を与えるでしょう。また,結婚前の性交渉があったということの証拠になりますので,「ふしがらな」子だと思われるかもしれません(これは決して昔の事ではなく,婚前交渉が当たり前になった今でもそうです)。10代の妊娠が「乱れた性」の象徴として描かれてもいます。そういった性道徳の強調の筋からも,10代の妊娠は「望まれて」いません。ですので,10代は「妊娠しないように」させることが,「望まれない妊娠」対策の第一になります。避妊教育も,「望まれない妊娠」をしないことが強調されています。

さて,10代の妊娠が「望まれない妊娠」であったとしてその対策を考える場合,もう一つの道があります。それはその妊娠を「望まれない妊娠にしない」という道です。なぜ10代妊娠が望まれないかというと,学校に通いながら出産子育てするシステムがまだきちんとできていないため,その子のキャリア形成に影響を与えるからです。だったら,学校に通いながら出産子育てをしても,その子のキャリア形成への影響が少なくなるようなシステムを作ればいいのです。そうすると,その妊娠は「望まれない妊娠」になりませんね。京都府立高校のケースだと,体育の実技の授業が受けられなかったり出産育児で授業を受けられなかったりした分を,レポートなどにするとかいうシステムを作ることですね。性道徳についても,性行為が子どもを作るものだけでなく愛情表現のひとつでもあり,だから婚前の性行為はいけないことではないこと,そして100%の避妊はないということを教えていくべきではないかと思います。

しかし,これはかなり難しいのではないかと思います。世の中の主流は,今はまだ「望まれない妊娠」を防止する方向に重きを置かれているように思います。10代の子に妊娠してほしくない人にしてみれば,10代の子の出産子育ては避けるべきものですから,妊娠した10代の子への配慮や優遇はしてほしくないことでしょう。なぜなら,10代の妊娠は「望まれない妊娠」ですので10代は妊娠するなと言いながら,10代の妊娠に優遇措置をとるのは矛盾ですよね。この高校は,この矛盾を突かれたら返しようがないから,体育の実技免除の基準に妊娠を入れられないのではないかと思います。実際他のケースでは,10代の妊娠に優遇はしない措置は当たり前であり世の中の支持を得られたでしょう。

ただ,文科省も教委もネットでの反応もこの子の来年の卒業を支持しているところから,世の中の潮目が変わってきてるのかなとも言えるでしょう。この生徒の妊娠が「望まれない」ものではなくなったとは言えませんが,この生徒の妊娠を肯定的にとらえようとする動きはでてきたのかなと思います。

私は,今この生徒のお腹の中にいる子は縁があって命を授かった子ですから,この生徒も保護者も学校もみんなが機嫌よくこの子をこの世に迎えられるようにしたいと思います。そのために,この生徒の妊娠を「望まれない」ものではなく「望まれた」ものにしたいんですね。体育の実技がこの生徒の望みやキャリアのハードルになっているなら,それを取り除けばいいと思います。それで学校は「望まれない妊娠」を認めているのではなく,その妊娠を「望まれる妊娠」にしようとしているのだと言い切ればいいと思います。

少子化が進んで(今年は少し止まりましたが)出産子育て環境の整備を声高に言われている昨今です。出産子育て環境をよくするのは,なにも職場だけではありません。学校も,子どもが作れる体になっている子が通います。このケースが,学校の中でも,安心して出産子育てできる環境を考えはじめる,いいきっかけになることを願います。

2016年6月 8日 (水)

ヤンキーの子を食い物にするな!!


つまり,介護職員の「ひとり親方」化を進めようとする意見ですね。地方のヤンキーたちを介護職員にして,独立させてひとり親方にさせる。個人事業主にすると,がんばればがんばっただけ収入が上がるから,「定収入でも家族や仲間とまったり過ごしたい」彼らも上昇志向を持つようになるだろう。介護職員確保にもなって,いいことだと言いたいんでしょうね。


はっきり言います。ふざけるな!!


今「ひとり親方」といえば建設業ですね。現場に入っている職人さんは,下請けの個人事業主である人が多いです。そういう職人さんたちは,元請けの建設会社から仕事をもらって現場に行きます。職人さんをひとり親方にすると,会社の側は,社会保険料や雇用保険料の負担もないし,その他の社員に対する費用や事務の負担がないわけですから,コスト削減になります。ひとり親方も,「労働基準法の縛りなく働けます」のでがんばったぶんだけお金がもらえます。どちらにもいいことずくめだと言いたいんでしょうね。


でも,ほんとうにそうなんでしょうか。職人さんたちは個人事業主ですから,労働基準法の勤務時間の制限がありません。しかも請け負うときは一仕事でいつまでにいくらの請け負い方をしますので,請け負わせる側は,労働基準法による労働時間内でおさまらない工期設定でもOKなんですね。もちろん断ることもできますよ。でもそれでは仕事がもらえない。仕事がもらえなかったら収入ゼロですね。それで,無理な工期で朝から晩まで働かされる。


今建設現場では,日曜日だけ休みになっています。土曜日も朝から晩まで仕事しているんですね。うちに事務所の裏もホテル建ててるんですが,土曜日も朝から晩まで職人さんが働いていますよ。あんなの,職人さんがもし社員さんであったら完全に労基違反なんですが,でも職人さんは個人事業主なのでOKなんですよね。


また,ケガをしても労災保険の任意加入をしておればまだ救われますが,入っていなかったら全額実費です。もちろん社員さんは事業主が強制加入ですから,そんな心配は無用ですが,ひとり親方は個人事業主ですからね。労災保険料も自前です。


しかも,労災を請求したら,その現場の安全はどうなっているのか調査するために労働基準監督署が入ります。建設会社はこれを嫌がるんですよね。だって,どんな現場だってたたけばほこりが出るんですから。「目をつけられる」わけです。ですので,「暗黙に」労災を使うなという空気があると言います。そうなると,いくら労災に入っていてもケガの保障は何もないわけですね(実は損害保険会社はここに目をつけて,ひとり親方に,労災を使わなくてもけがの治療が保障されますよという商品を売るんですね。もちろん,労災の「上乗せ」という名目ですが。これ,けっこう売れてます)。


もちろんこれは,最近行政の指導がかなり徹底しているので減ってきてはいるみたいなことです。しかし,元請けに「迷惑をかける」ことにはかわりないわけですから,労災を使うのも気が引けますよね。また,労災を使った職人さんは次の現場に使ってもらえないといううわさもあります。もちろん社員の職人さんはそんな心配は皆無です。でも,ひとり親方は,違うんですよね。


そう考えると,ひとり親方になるのも問題あるなと思います。でもね。そういうひとり親方のあり方に親和性がある人たちがいるんですよ。そう。ヤンキーの子らなんですね。


彼らは,自分ががんばったぶんだけお金がもらえて,しかも「雇われている」のではない立場であることがうれしいんですよね。そりゃそうです。ヤンキーになるような子は,労働時間の規制は完全無視で働いても働いても低賃金で,雇い主から理不尽なことを要求される,いわゆるブラック企業での就労経験しかないわけですから。雇われるっていうことのイメージが悪いんですよね。「労働者の権利」なんていってもピンとこず,働くとはそういうものだ,と思ってしまっている。


さらに,今自分はこうなったのは,勉強しなかったからだとか親や先生の言うことをきかなかったからだとか,つまり「自己責任」だとさんざん言われていますので,世の中は自己責任が当たり前,自分のケガなどを誰かから保障してくれるという考えになじまなくなっています。ひとり親方の資質じゅうぶんですね。


そうやって,「合法的に」ブラックな働き方をさせているのが「ひとり親方」制度なんです。ヤンキーの子らは,そういう働き方しかさせてもらえず,でももたなくてやめてしまったら「根性がない」とか「だからヤンキーは」とか言われる。余計にちゃんとした働き方ができない,の悪循環です。


そして,学校などからドロップアウトする子は確実にいますので,換えは何人でもいるわけです。この子がつぶれても,一部のもつ子だけいればいいわけですし,子どもがつぶれるのは子どものせいに知るわけですから,世の中はいつまでもこの体制を変えようとしませんね。そうやって,学校などからも働くことからもドロップアウトせざるを得ない子どもを量産しているのです。


さて。今は建設業が多いこの制度ですが,今度は介護にも使おうとしています。そうなったら,ヤンキーの子らは建設だけでなく介護でも,ブラックな働き方をさせられることになります。


そりゃ,介護業者はいいですよ。労基も労災も考えなくていい安価な労働力を手に入れられるんですからね。さらに政府も,介護報酬を安くあげられますから,願ったりかなったりでしょうね。でも,ヤンキーの子ら側からするとどうですか。やはり労働者としての人権を無視しされた働き方しかできないんですね。


これって,ヤンキーの子らを食い物にしているだけじゃないですか。


こんなひどいこと,私は許せない。そりゃ,ヤンキーの子らは世の中に迷惑なことしたかもしれない。でも,だからといって世の中の食い物にされる筋合いはない。ヤンキーの子らを食い物にするから,彼らは立ち直れないんです。


私はヤンキーの子らとともにある身として,こういったヤンキーの子らを食い物にするようなやり方に断固反対します。

2016年6月 5日 (日)

体罰は「行きすぎた」指導なのか

体罰などがあると「行きすぎだった」と言われます。いつも私はその言葉に違和感を持ちます。



「行きすぎ」ってどういうことだろうと。

体罰などが「行きすぎ」だっていう考えの前提は,指導方法に段階があって,体罰などにいたる前に何かほかの指導があって,その指導の域を超えた先に体罰などがあるということでしょう。体罰などが「行きすぎ」だというのは,本来ならば体罰などまでにいたらない段階の指導をするべきなのにしなかった,という意味なんでしょう。


では,体罰など様々な指導の段階はどうやって決められているのでしょうか。一般的にはその指導の「厳しさ」によって決められているようですね。たとえば,優しい口調で叱るのときつい口調で叱るのとでは,きつい口調のほうが厳しい,口で叱ると体罰とでは,体罰のほうが厳しい,と言った具合です。そして,より厳しい段階のやり方が効果があると思われています。それで指導の「厳しさ」に段階をつけて,そこに子どもを当てはめる。「この子は何度もやっているから,きつい口調で叱るに値する」とか「この子は初めてやったことだから優しい口調で叱る程度でいい」とか。


しかし,子どもをその序列にあてはめるときに,どうしても大人の思いが入ってしまうんですね。その子をなんとかしなきゃ,っていう思いが強い大人は,どうしても子どもを厳しい段階にあてはめようとしてしまいます。また,教育方法の「厳しさ」の段階って,そもそもできないんじゃないのかともいえます。ある子にしたら,優しく言ってもらうほうが,きつい言い方をされるよりもこたえる,っていうこともあります。教育方法の序列に子どもを当てはめるやり方では,その子どもと教育方法とがうまくマッチしないでズレができてしまうんですね。


私は,そもそも教育方法の「厳しさ」による序列に子どもを当てはめる発想は,もはや使えないだろうと考えます。子どもを教育するときにどんな方法を選択するかは「厳しさ」基準ではなく,その子の問題に合わせたやり方を選択するようにすべきです。


そうして子どもにあわせた方法選択の中に体罰が入る余地があるのかを考えてみると,入る余地はないと言わざるをえません。なぜなら,体罰は子どもの尊厳を奪うものである以上,そもそもどんな教育目的であってもその達成につながらないからです。


指導方法に段階をつけるから,体罰があってしまうと思います。体罰は「行きすぎた」指導ではなく,そもそも指導の選択肢に入れない考えのもと,指導していく必要がるのではないでしょうか。

あわせてご覧ください(外部リンクに飛びます)

「まともな大人」による「まともな教育」のために

Yahoo知恵袋に投稿された,クラスで騒がしい生徒がいて,騒ぐ子供の成績を1にしたいという相談です。


私(ここではyc_pcbkxです)はその回答の中で,

「私があなたの質問を読んでまず思ったのは, 「なぜその子たちは授業中に騒ぐようなことをするのだろう」 ということです。そりゃそうですよね。授業中に騒ぐ子は,授業中に騒ぐ「なぜ」があるんです。あなたの質問にはそれが書いてない。なぜでしょうか。思うにあなたはなぜその子たちが騒ぐのかわかってないからじゃないでしょうか。なぜそんなことをするのか,ひざ突き合わせてきちんと話し合っていないからじゃないでしょうか。なぜ騒ぐのかわからなくて,その子たちのちゃんとした指導はできませんよね。だから,成績で脅しをかけたり体罰という重大な法律違反を犯すという,表面的な対応しかできないのではないでしょうか。そんなことをする大人は「まともな大人」でしょうか。たたいたり脅したりって,そんなのまさにヤクザのすることじゃないですか。先生がヤクザと同じことしてどうするんですか」
と書きました。 まあねえ。てなこと書いていながら実は,僕もこの先生の気持ちがとってもよくわかるんですよね。日々ぎりぎりのところで指導していると,どうしても「ダークサイド」に落ちてしまいかけることもあります。そんなときに「はっ」と思えるのは,ふとした時に見せる子どもの表情だったり言葉だったり,同僚の先生の一言だったり。 たぶん,学校内で,こんな指導おかしいって思ってる先生はいると思います。もしかしたら,こんなのおかしいって思っていながら学校の空気を読んで表に出さない先生の方が多いかもしれません。そんな先生を見つけてつながっていけたら,みんなが声を掛け合えられたら,誰もが「ダークサイド」に落ちなくてもすむのではないかと思います。実際,もともな教育ができている学校もたくさんあるわけですし。 この先生をたたくのは簡単です。でも,たたく前に,先生がまともな指導をする「まともな大人」であれる学校にすることが先だと思います。先生は,ほとんどがもともとは「まともな大人」なんだし,そうでないまたはそうでなくなった先生を更生させるのも,「まともな大人」であれる環境でのみ可能です。そのためになにをどうすればいいのか。そちらに重点を置いて考えていけたらと思います。

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