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2018年2月

2018年2月22日 (木)

先生の研修充実について

先生の研修を充実させましょうという動きがあります。先生のスキルを向上させて、学校の教育レベルをあげましょうという意図だそうです。

この話によせて、思いだしたいことなど。大学の教育学の授業で、他はまーったく覚えてないんですけど、1つだけ覚えていることがあります。

教育活動は2つにわけることができる。1つは能動的教育活動、もう1つは消極的教育活動。
能動的教育活動とは、あることを教えようと思って被教育者に直接教える活動のことで、授業とか補習とか宿題のこと。消極的教育活動とは、勉強のこととかを自由に話できるような友達関係を作るなど、勉強を直接教えるわけではないが教育的に効果がある働きかけのこと。
で、教育活動を考えるときに、すぐに思いつくのが積極的教育活動であるが、ほんとうに大切なのは消極的教育活動である。勉強をしてほしかったら、カリキュラムの編成や教室の環境やクラス内の人間関係といったものを整えるべきである。

てなことでした。

まあ、学生の時は、そんなもんかと思ってましたけど、少年院に勤めだして、ほんとうにその通りだなと思うようになりました。

これ、子どもについてだけでなく、先生についても同じだと思うんですね。本当に先生に勉強してほしかったら、研修という能動的教育活動だけでなく、先生が勉強できる、やろうと思えるような労働環境や人間関係を作るといった、消極的教育活動を考えるのが、教育のプロである教育委員会の仕事だろうと思うわけです。

でも、無理だろうな。僕が見る限り、教育委員会管理職側は、どうも、先生の集団づくりっていう発想自体が、あんまりないように思う。というか、作るんじゃなくて壊す方向で考えてるんじゃないかって。これでは、いくら研修を積みあげても、無駄骨ばかりでダメなんじゃないかなと思いますねえ。

2018年2月 7日 (水)

どっちが偉い?~更生するたいへんさと真面目に生きるたいへんさ

ツイッターでこんな書き込みを見ました。

「元ヤンキー」を売りにしている人を見ると、伊集院光さんがラジオで「ヤンキーが立ち直るのは偉いかもしれないけど、ずっと真面目にやってた人の方がもっと偉いだろ」って言ってたの思い出す。
https://twitter.com/moritakayuki/status/960743039885963264

非行少年や犯罪者の更生にかかわっているものとして言いますが。ヤンキーの人が更生するって、かなりたいへんなことなんですよね。自分を変える努力と、まわりに受け入れてもらう努力。これらがちゃんとできてはじめて、「更生」となる。それって、たぶん、一般の人が思っているよりもかなりたいへんな努力が必要です。

真面目にやってきた人も、もちろん、悪い道にそれないように自分を律して生きてきたと思います。人間、簡単にダークサイドに堕ちてしまいますからね。そうならないように生きていくのも、意外とたいへんです。

私は、更生するたいへんさと、真面目に生きるたいへんさは、別のものだと思います。「元ヤンキー」で今は更生している人の偉さと、グレずに真面目に生きてきた人と、「偉さ」が違うと思うんですよね。ですので、「どっちが偉い」なんて単純に比較できないと思うんです。

「どっちが偉い」ではなく「どっちも偉い」でいいんじゃないでしょうか。



2018年2月 5日 (月)

「あたしおかあさんだがら」に感じる「そこじゃない感」

「あたしおかあさんだから」が話題になっていますね。

要約すると、お母さんになって、いろんなことを我慢しなきゃならくなったけど、あなたという子どもと出会えたから、それが一番幸せ、って感じの歌だと思います。

この歌に対して、様々な批判がされています。
「あたしおかあさんだから」の歌詞母親の自己犠牲を美化しすぎて炎上

たしかに、この歌詞を読めば、子どもと出会えて幸せなのだから、今の我慢はして当たり前なんだ、我慢しなさい、という歌だと思われてもしかたないでしょうね。そして、その我慢が当たり前であるというのは、当のお母さんにとっても、子どもにとっても、受け入れがたいと思うのもわかる気がします。

私がこの歌詞を読んで、もちろんそういった我慢の強要というところへの反感もあるのですが、子育てするにあたっての我慢について、どうも「そこじゃない感」を持ってしまったのです。

子育てに奮闘しているお母さんがもつ本当のたいへんさって、爪を伸ばせないことや甘口のカレーを作らなかやならないことやライブに行けないことじゃないと思うんです。子育てにかかるお金がかかりすぎる問題、世間や親せきからの「あるべき母親像」プレッシャー、次々と押し寄せてくる教育情報、働くお母さんなら職場の子育てに対する無理解、待機児童問題、そういったことが、お母さんをめぐる本当のたいへんさじゃないかと思うんです。

そういった本当のたいへんさに目をつぶって、表面的ないたいへんさを歌って「お母さんたちのことをわかってますよ」みたいに言ってることに、私は違和感を持つんです。

ちなみにこの作者の、のぶみさんは、前にも炎上していますね。
超人気絵本作家・のぶみ『このママにきーめた!』がおしつける母子の逃げられない結びつき

この本もそうだったんですけど、のぶみさんの言葉は、現代版お涙ちょうだいの安っぽいポエムなんです。子どもや育児で大変なお母さんといった、どっぷり当事者の目線ではなく、傍観者からの視線で書かれている。だから、どっぷり当事者からは「そこじゃない感」を持たれてしまい、反感買うんだと思うんですね。

当事者のことをわかるためには、どこまでも当事者の目線に自分をあわせることが大事です。自分にも、思いもあれば考えもある。でもその自分の思いや考えをできるだけ排除して、当事者が何を思って何を考えているのかに素直になること。
当事者のことを語るためには、当事者目線で語ること。それができないのは、当事者に対して失礼であること。私も今一度肝に銘じていきたいと思います。

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