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2018年2月 5日 (月)

「あたしおかあさんだがら」に感じる「そこじゃない感」

「あたしおかあさんだから」が話題になっていますね。

要約すると、お母さんになって、いろんなことを我慢しなきゃならくなったけど、あなたという子どもと出会えたから、それが一番幸せ、って感じの歌だと思います。

この歌に対して、様々な批判がされています。
「あたしおかあさんだから」の歌詞母親の自己犠牲を美化しすぎて炎上

たしかに、この歌詞を読めば、子どもと出会えて幸せなのだから、今の我慢はして当たり前なんだ、我慢しなさい、という歌だと思われてもしかたないでしょうね。そして、その我慢が当たり前であるというのは、当のお母さんにとっても、子どもにとっても、受け入れがたいと思うのもわかる気がします。

私がこの歌詞を読んで、もちろんそういった我慢の強要というところへの反感もあるのですが、子育てするにあたっての我慢について、どうも「そこじゃない感」を持ってしまったのです。

子育てに奮闘しているお母さんがもつ本当のたいへんさって、爪を伸ばせないことや甘口のカレーを作らなかやならないことやライブに行けないことじゃないと思うんです。子育てにかかるお金がかかりすぎる問題、世間や親せきからの「あるべき母親像」プレッシャー、次々と押し寄せてくる教育情報、働くお母さんなら職場の子育てに対する無理解、待機児童問題、そういったことが、お母さんをめぐる本当のたいへんさじゃないかと思うんです。

そういった本当のたいへんさに目をつぶって、表面的ないたいへんさを歌って「お母さんたちのことをわかってますよ」みたいに言ってることに、私は違和感を持つんです。

ちなみにこの作者の、のぶみさんは、前にも炎上していますね。
超人気絵本作家・のぶみ『このママにきーめた!』がおしつける母子の逃げられない結びつき

この本もそうだったんですけど、のぶみさんの言葉は、現代版お涙ちょうだいの安っぽいポエムなんです。子どもや育児で大変なお母さんといった、どっぷり当事者の目線ではなく、傍観者からの視線で書かれている。だから、どっぷり当事者からは「そこじゃない感」を持たれてしまい、反感買うんだと思うんですね。

当事者のことをわかるためには、どこまでも当事者の目線に自分をあわせることが大事です。自分にも、思いもあれば考えもある。でもその自分の思いや考えをできるだけ排除して、当事者が何を思って何を考えているのかに素直になること。
当事者のことを語るためには、当事者目線で語ること。それができないのは、当事者に対して失礼であること。私も今一度肝に銘じていきたいと思います。

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