経済・政治・国際

2015年8月18日 (火)

70年談話では「反省」は語られているか~「反省」の文脈で70年談話を読んでみる

安倍首相の戦後70年談話が発表されました。

「あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません。」
まったく同意します。いつまでも謝罪の段階でとどまるのではなく、そのあとの段階に発展していくためにも、ここできちんとした謝罪をすべきであると、私も考えます。
私は少年院で数多くの少年と反省や謝罪について考えてきました。少年院での矯正教育は「反省と謝罪」につきるといっても過言ではないと思います。謝罪するためには「反省」をしなければなりません。ただ単に「悪いことをした」と思うだけでは「反省」にはなりません。どうしてそんなことをしたのか、これからどうしていくつもりか、をきちんと考え抜いて、それが相手に認められてはじめて「反省した」といえるのです。謝罪はそのあとでするものです。単にあやまったらそれで謝罪したことにはなりません。
まず反省するということはどいうことか。私の考えを紹介します。反省とは、
1 「悪いことをした」と思うこと
2 自分の「何が」悪かったのか考えること
3 「なぜそんなことをしたのか」を考えること
4 「どうすれば」そんなことをしなくてもすむのか考えること
5 自分の考えをどう表現すればよいか考え実行すること
の5つのステージがあります。くわしくはこちらを。
この5ステージから、安倍首相の談話が反省を表明したものとしてどう評価すればいいか見ていきたいと思います。
まず1のステージ、「悪いことをした」と思うこと。これは
「我が国は、先の大戦における行いについて、繰り返し、痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明してきました。(略)こうした歴代内閣の立場は、今後も、揺るぎないものであります。」
とあり、クリアしているかと思います。
続いて2のステージ、自分の「何が」悪かったのか考えること。
「先の大戦では、三百万余の同胞の命が失われました。祖国の行く末を案じ、家族の幸せを願いながら、戦陣に散った方々。終戦後、酷寒の、あるいは灼熱の、遠い異郷の地にあって、飢えや病に苦しみ、亡くなられた方々。広島や長崎での原爆投下、東京をはじめ各都市での爆撃、沖縄における地上戦などによって、たくさんの市井の人々が、無残にも犠牲となりました。
戦火を交えた国々でも、将来ある若者たちの命が、数知れず失われました。中国、東南アジア、太平洋の島々など、戦場となった地域では、戦闘のみならず、食糧難などにより、多くの無辜の民が苦しみ、犠牲となりました。戦場の陰には、深く名誉と尊厳を傷つけられた女性たちがいたことも、忘れてはなりません。」
とあり、日本が戦争したことによる日本国内外での不幸なできごとがまとめてありますが、原爆やシベリア抑留と思われることなど日本軍がやったことではないことが入っていたり、戦場で餓死した日本兵のことと思われることが日本が相手国へやったことが書かれている段落にあったりして、あまりはっきりした感じの文章になってない印象です。続くこの文章、
「 何の罪もない人々に、計り知れない損害と苦痛を、我が国が与えた事実。歴史とは実に取り返しのつかない、苛烈なものです。一人ひとりに、それぞれの人生があり、夢があり、愛する家族があった。この当然の事実をかみしめる時、今なお、言葉を失い、ただただ、断腸の念を禁じ得ません。」
つまり、前の引用を含めて考えると、「何の罪もない人々」の中に、相手国の国民だけでなく日本国民をも入れてあるかのように読めるんですね。そうすると、この談話にある「わが国」とは、日本国民を除外した「政府のみ」であるかのように読めるんです。つまり、旧日本政府が、日本国民と相手国民とに不幸をもたらしたと。
そうすると、いちおう戦後新しく政府が変わって一からスタートした体裁になっている日本政府が、ある意味関係ない戦前の政府がやったことを反省するという奇妙な構図になってしまうんです。
これでは、安倍首相が談話として反省の弁を述べる正当性すら失ってしまうことになってしまいます。
やったことを明らかにするときは、「誰が」「誰に」やったことかをはっきりさせる必要があります。
次に3のステージ「なぜそんなことをしたのか」を考えること、ですが、
「世界恐慌が発生し、欧米諸国が、植民地経済を巻き込んだ、経済のブロック化を進めると、日本経済は大きな打撃を受けました。その中で日本は、孤立感を深め、外交的、経済的な行き詰まりを、力の行使によって解決しようと試みました。国内の政治システムは、その歯止めたりえなかった。こうして、日本は、世界の大勢を見失っていきました。」
ここがそれに当たるでしょう。経済的に孤立「させられ」、それを打開するために戦争といういけないやり方を選んでしまった。この分析は特に問題ないかと思います。
ただ、
「満州事変、そして国際連盟からの脱退。日本は、次第に、国際社会が壮絶な犠牲の上に築こうとした「新しい国際秩序」への「挑戦者」となっていった。進むべき針路を誤り、戦争への道を進んで行きました。」
と続きます。「挑戦者」という言葉で、戦争という負の価値の行為を正の価値に転換しようとしているように読まれても仕方ないかと思います。日本を経済的に孤立させたのは諸外国であり、いわば日本いじめに対して勝負しに行ったのだと読めてしまうんです。ここに、ある意味「言い訳」が入ってしまうんです。
「経済のブロック化が紛争の芽を育てた過去を、この胸に刻み続けます。」
たしかにそういった面はあるでしょうけど、これはブロック経済をした諸外国が言うことであって、日本が言える立場ではありません。経済的にブロックされたからといって戦争仕掛けなければならないわけではないはずですし、なんだか責任転嫁してるみたいで結局は「言い訳」にしかなりません。4のステージにもかかわることではありますが、戦前経済的にブロックされたときにどうすればよかったのかを考えるべきでしょう。さらに、経済的なブロックをされないようにするためにどうすればよかったのかも考える必要があるでしょう。これは、この反省の核になるべきことではないかと思います。
ではその4のステージ「どうすれば」そんなことをしなくてもすむのか考えること、ですが。
「先の大戦への深い悔悟の念と共に、我が国は、そう誓いました。自由で民主的な国を創り上げ、法の支配を重んじ、ひたすら不戦の誓いを堅持してまいりました。」
ここがそうなるでしょうか。憲法文面では戦争を放棄していますから。しかし、次の5のステージ自分の考えをどう表現すればよいか考え実行すること、を考えると、あやしくなってきます。
「私たちは、国際秩序への挑戦者となってしまった過去を、この胸に刻み続けます。だからこそ、我が国は、自由、民主主義、人権といった基本的価値を揺るぎないものとして堅持し、その価値を共有する国々と手を携えて、「積極的平和主義」の旗を高く掲げ、世界の平和と繁栄にこれまで以上に貢献してまいります。」
印象としてですが、とてもあっさりしてるなって思います。反省を述べるためにはここが一番力を入れるべきところでしょう。なのに抽象的でさらっと流している感じですね。「自由、民主主義、人権といった基本的価値を揺るぎないものとして堅持」するために、「積極的平和主義」のために、具体的に何をするのか。詳しくなくてもいいから具体的なことを入れるべきでしょう。
まあ、首相の談話は反省を述べるべきものではないと言われればそれまでなんですが。これでは反省としては落第ですね。謝罪の前提になるべき反省ができていないと言わざるをえない段階で「謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません。」なんていわれても、いまいちピンとこないんですよね。諸外国が日本に対して警戒感を持つのは、反省がきちんとできていないからではないかと思います。ほんとうに謝罪の段階を越えたいのなら、きちんとした反省をしなければならない。安倍首相や政治家たちの問題だけでなく、国民が当事者としてきちんとした反省をして。80年談話があれば「主語」が「国民」になるしっかりした反省を述べて謝罪できるようになったらいいなと思います。