非行問題

2018年1月 8日 (月)

ベッキーさんの件と、死刑存続厳罰化支持について

けっこう前なんですが、「乃木坂ってどこ?」という番組で、乃木坂46の西野七瀬さんが、罰ゲームでジャガー横田さんから逆エビ固めを受けたことがあります。その後日談で西野さんが、
「あれは全然痛くなかった」
とのことでした。ユーチューブで当該シーンを観てみますと、はっきりいって、全然きまってませんでした。

そりゃそうです。プロのプロレスラー(って言い方はおかしいですが(^^)v)が、かよわいアイドルに、本気できめにいくわけがない。そんなことしたら、大ケガになります。プロのプロレスラーとかボクサーとかって、一般の人なら簡単にのしてしまえるぐらいのパワーとテクニックがあるんですからね。

だから、ベッキーさんの件も、ベッキーさんに痛い目にあわせたことが問題になるわけではないと思います。だって、痛い目にあってないから。

ただ、ああいった形で「みそぎ」にしようとしたことは、非難されてしかるべきでしょう。あたかも、AKB48の峯岸みなみさんの丸刈り事件を彷彿とさせるじゃないですか。体を傷めつけて辛い思いをして(またはその演出をして)許しを請うというやり方。あのときも、そういった許しの請い方が問題になったはずです。

しかし、体を傷めつけてつらい思いをして許しを請うというのは、実は広く世間で求められているのではないかと思います。死刑存続や厳罰化などは、まさに、犯罪者を傷めつけてつらい思いをさせることが目的でしょう。僕は、ベッキーさんの件や峯岸みなみさんの件を非難する人が、同じ口で死刑存続や厳罰化を支持または黙認するは、明らかに矛盾だと思います。そういう意味で、あのシーンは、世間に対する辛辣なアイロニーだと、僕は思いますね。

人を傷めつけることは、どんな理由があろうとも重大な人権侵害です。ベッキーさんや峰岸さんの人権を尊重するなら、犯罪者の人権も同じように尊重すべき。そのような罰を与えるのは、なにがあっても支持してはいけないと考えています。

2015年5月21日 (木)

少年院基礎講座~犯罪統計を見るときの基本知識

Photo_2 犯罪の資料を見るときに,「刑法犯」「一般刑法犯」「特別法犯」とあることがあります。まずはこの用語の説明です。特に,「一般刑法犯」がわかりにくいかな。イメージとしては,これぞまさに犯罪,みたいな。交通事故による犯罪って,わざとやったっていうことはあまりなくて,だからあんまり犯罪した感じではないですよね。いわば結果論の犯罪というか。そういうのを引いて,これぞ,みたいなのを「一般刑法犯」と思っていただいて,ほぼ間違いありません。もちろん,犯罪した感じがあんまりなくても,犯罪は犯罪です。格の違いとかはありません。種類の違いって感じでしょうか。
ですから,「刑法犯」と同時に「一般刑法犯」も見ておく必要があります。「刑法犯」が増えても「一般刑法犯」が減っておれば,治安のよしあしのイメージは変わりますね。逆もまた同じ。そういう見方をします。
「特別法犯」は,「刑法」にないというだけのことで,立派な犯罪です。矯正教育では,「刑法犯」であろうが「特別法犯」であろうが,あまり関係はありません。犯罪は犯罪です。
そんな感じで,ちびちび出していきます。

2015年4月 7日 (火)

少年院基礎知識~号令と行進

少年院や刑務所なんかを紹介するときによく映るのが、「やすめ・きをつけ」などの号令や「いちに・いちに」の行進です。あれで少年院や刑務所の、硬いイメージを持つ人も多いんじゃないでしょうか。

たしかに、号令で人を動かし行進で進みます。でも、じゃあなんであれをやるのか、わかりますか?
まず号令です。普通少年院で使う号令は「やすめ」「きをつけ」「まわれみぎ」「まえにならえ・なおれ」「まえにすすめ」「ぜんたいとまれ」ぐらいですか。訓練では「みぎむきまえへすすめ」や「まわれみぎまえへすすめ」など少し高度なこともしますが、普段は使いません。
これ、普通に学校でもしていませんか?朝礼なんかで並んだときに、前で先生がかける号令、こんな感じだと思いますよ。ですので、そんなに特別なことしていません。ただ、学校では号令に対してだらだらしててもあまり怒られませんが、少年院ではそこはきちっとさせます。号令で硬いイメージをもたれるのは、だからでしょうね。まあ、きちんとさせることは、そんなに悪いことではないと思います。
号令をかけることについては賛否両論があると思います。みんな同じ動きをさせることについて、よくないと考えている人もいるでしょう。たしかにそういう面もあるかと思います。学校の朝礼なんかでみんながそろってきちんとした動きをする必要があるのかって言われたら、たしかに疑問ですよね。これが、少年院では必要なんです。これは、行進のことの後に説明します。
次に行進です。たとえば20人の少年を運動場から実習場へ動かすとします。そのときに、みんなてんでばらばらに歩いたらどうなるでしょうか。まず心配なのは、誰かがいなくなることです。人の塊からひょいと抜け出して逃げてしまうかもしれません。どこかの物陰に隠れてしまうかもしれません。そうなったら大事件です。少年と一緒に歩いている先生たちは、ただ単に一緒に歩いてるんじゃないんです。いつも少年の人数を数えて、抜けてる子がいないか確認しているんですね。ですので、きちんと整列させて歩かせるのは、大きな事件にならないためにやってるんです。
そして、みんなの足並みがそろわなければ、整列したまま集団が動くことはありません。やってみたらわかります。すぐにばらばらになってしまいますよ。ばらばらになったらいけないので、足並みをそろえるために、「いちに・いちに」があるんです。
ちなみに、運動場なんかで集まっているときに、整列して番号をかけます。「1・2・3・4・・・」ってやつですね。あれも、人数をすぐに数えるのに便利なんです。詳しい話は抜きますが、二列で並んでいて番号かけて5で終わったら10人いるんだなってわかります。番号はそのためにうつんです。
つまり、号令も行進も、これは少年院側が少年を「把握」するためにやっていることなんですね。ですので、これは少年院の教育活動ではありません。どちらかといえば保安のためにやっていることです。少年院は、教育施設であると同時に保安施設でもありますので、保安のためにやることもあるんです。少年院の先生は、号令や行進が教育活動であるなんて、誰も思っていません。
ですので、もちろん1人のときとか、2~3人とか少人数のときは、行進もしませんし号令もありません。やってるところもあるみたいですが、僕の勤務した少年院では、特に何人以上とかはないのですが、2~3人程度でしたら普通に歩いていましたよ。おしゃべりとかしながら。短距離ならもう少し多くてもしなかったかな。必要ないですからね。
そんなもんです。ですので、号令や行進が少年院の処遇の中心ではありません。あくまでも周辺のことです。あれで少年院のイメージをもたれるのはしかたないところもありますが、ああでないところ、も一緒に紹介してほしいものです。

2015年3月 7日 (土)

少年院基礎知識~なぜ少年事件の加害者の実名報道はいけないのか

少年法では,少年犯罪者の実名や顔写真の報道は禁止されていると言われますね。その根拠としては,少年法第61条にこうあります。長いですが引用します。
第六十一条  家庭裁判所の審判に付された少年又は少年のとき犯した罪により公訴を提起された者については、氏名、年齢、職業、住居、容ぼう等によりその者が当該事件の本人であることを推知することができるような記事又は写真を新聞紙その他の出版物に掲載してはならない。
これだけ見たら,審判や裁判に付され「ない前の」少年,つまり逮捕中とか取り調べ中とかの少年,については報道してもよいみたいに思うかもしれません。しかし,少年事件は全部家庭裁判所に送られて審判が開かれる建前になっていますので,将来審判に付される可能性がある少年ということで,この規定が使えます。ちなみに,被害者はこの規定に入りません。
さて,ではなぜこんな規定があるのでしょうか。少年法第1条を見てみます。
第一条  この法律は、少年の健全な育成を期し、非行のある少年に対して性格の矯正及び環境の調整に関する保護処分を行うとともに、少年の刑事事件について特別の措置を講ずることを目的とする。
少年法では,「少年の健全育成」のために,非行少年の「性格の矯正」と「環境調整」をするんだとしています。第61条の規定は,この「環境調整」のためであると言えます。
世の中は,犯罪者に対して冷たい社会です。昔悪いことをした人は,今どんなにいい人でも色眼鏡で見られます。それは大人だけでなく子どもも同じです。子ども時代に悪いことをした人は,「そういうことをした人」と思われます。こういった考えが,非行少年の社会復帰を邪魔していることは,だれしも認めるところでしょう。そういった社会復帰の邪魔になるようなことはなくしていく。これが「環境調整」のひとつなんです。
非行少年に対する色眼鏡がないのであれば,こんな規定は必要ないんです。ですので,顔写真や実名報道したかったら,そういった色眼鏡をなくしてからこの規定を外せばいいのであって,少なくとも今は,許されることではありません。
非行少年は,少年院や少年刑務所に入っても,いずれ社会に戻ってきます。その時に,うまい具合に社会復帰できなければ,また悪いこととをしてしまいます。いくら非行少年を社会の隅に追いやっても,塀の中に隔離するわけにはいきません。彼らがいるところは社会の一部ということは,私たちの生活の一部でもあるんです。ですので彼らの行動が私たちの生活に影響ないとは言えません。見えないところに追いやったらそれでおしまいというわけにはいかないんです。社会の隅に追いやられ,誰からも相手にされない人が行く先は,もうおわかりですよね。再犯しかありません。
ならば,非行少年を隅に追いやるのではなく,社会の一員として迎え入れ,犯罪しなくても生きていけるようにしてあげる。これしか方法はないんです。そりゃ,悪いことした人に対して憤りもあるでしょう。こんな人いなくなればいいと思うでしょう。しかし,そんな気持ちで走ったら,けっきょく社会の安全が守られず,自分の首を絞めることになるんです。
犯罪者や非行少年を社会復帰させることは,実は自分たちの社会や生活を守る有効なやり方なんです。とかく非行少年の人権を守るための規定だと思われがちな第61条ですが,実は社会防衛の役割も果たしているのです。
だから,顔写真や実名の報道はいけないことなんです。

2015年3月 4日 (水)

子育て・教育情報に流されないために~「多くの人が言っているやっている」を疑おう

ある集まりで,自分の子どもが孫にきつくしつけをしていることを心配している親御さん(おばあさん)がいました。「最近そういう親が多いですよ」とほかの人が言ったら「じゃあ,それで(きつくしつけて)いいのね」と。
日本人は,多くの人が言っていることを判断の根拠にして,多くの人がしていることを行動の根拠にする。西洋人は決まった正しいことをもとに判断行動する。昔の日本人論でよく言われたことですね。これを,キリスト教と日本独自の多神教になぞらえて説明されていました。日本人論といては説得力があると思います(西洋人論としてはどうかなあと思いますが。つまり,西洋人も同じなんじゃないかなと)。
そんな日本人をコントロールするのは簡単で,「多くの人が言ってますよ(やってますよ)」と宣伝すればいいんです。ほんとうの姿を見せる必要はありません。いや,ほんとうの姿を見せても,「でも多くの人が言ってるからやってるから」でスルーしてしまう。 お金や力をを持った人が「多くの人が」と宣伝すれば,その人の思い通りの考えや行動をしてしまうことになります。私が知る範囲では,子育てや教育,非行,不登校などのことに,この手の「多くの人が」が蔓延していると思います。ほかの分野でも同じでしょう。
これが,小さなコミュニティーで,自分の判断や行動が小さな範囲でしかないのならそれでいいでしょう。現に昔は少数の人しか政治にコミットできなかったので,その少数のエリートが正しいことを見据えて政治すればよかったんです。でも今は,成人のすべてに参政権があり,ネットという高拡散ツールもあり,「多くの人が」ではすまなくなっていると思います。
科学をはじめ学問の成果がすべて正しいわけではありません。あやしいのもたくさんあります。しかし,根拠を提示し論争を経たものとして,「多くの人が」よりもより正しさに近いものであることは確かでしょう。ならば,僕らの判断や行動の基準にするものとしては,「多くの人が」よりも科学や学問の成果をとるほうが,よりよいのではないかと思います。 「多くの人」に惑わされてまずい判断や行動をしてしまう前に,その「多くの人」が言っていることを疑ってかかる姿勢が大切だと思います。

2015年2月18日 (水)

少年院基礎知識~発達障害を持つ少年

少年院は「分類処遇」という,少年をその特性や環境などによっていくつかのパターンに分類して処遇しています(「処遇」とは,教育や生活などその少年にかかわることすべてと思ってください)。で,どんな分類があるのかというと,手に職をつけてもらう「職業能力開発課程」,中学校や高校の勉強をする「教科教育課程」,普通の生活をちゃんとできるようになってもらう「生活指導課程」などなど。
で,各少年院は,自分ところは「職業能力開発課程」,とか,自分ところは「生活指導課程」,とか,どっちもとか,持っている課程が違います。ですから,同じ犯罪をした少年たちでも,鑑別所で「この子は生活指導課程に行ったほうがいいな」と判断された少年はその課程がある少年院に行きますし,「この子は職業能力開発課程だな」と思われたらそっちに行きます。
で,その分類の中に「特殊教育課程」というのがあります。これは,知的障害や情緒障害などを持つ少年が入って,社会で生きていくための教育を受けます。この課程があるのは医療少年院です。
今話題の,発達障害がある少年ですが,集団生活ができる少年は,「生活指導課程」などのある,医療少年院以外の少年院に行きます。集団生活ができないなと思われる少年は,「特殊教育課程」に行きます。ですので,「生活指導課程」などに,集団生活ができないなっていう少年が来ることはまれです。僕もほんとうに数えるほどしか覚えがありません。もちろん,集団生活はなんとかできるけど,みたいな子はたくさんいますので,「特殊教育課程」でなくても,先生たちの,発達障害に対する興味は大きいです。だってね。少年たちに集団生活してもらわなかったら,そもそも矯正教育はできないんですから。
その「特殊指導課程」は,一応基準に「情緒障害など」とあるんですが,主になるのは集団生活ができない子です。発達障害だなと思われる子もたくさんいます。そういった子を社会で何とか生きていってもらうために,先生方はがんばっておられます。
ですので,少年院は発達障害を無視していたわけではありません。いや,昔からほかの教育機関よりも正面から取り組んでいたと言ってもいいかなと思っています。