給食問題

2013年8月15日 (木)

ではどうするか

以上、今の給食をめぐる諸問題を考えました。ここまで読むと、では僕は給食はなくなったらいいと言っているように思えますね。そんなことはありません。給食の意義は十分わかっていますし、日本の給食は世界に誇る水準です。ぜひ残していきたいです。
そのためにも、「残さず食べなさい」指導をしてほしくないんです。残すこと・食べないことの自由を認めてほしいんですね。指導にすると、強制力を持つ以上、「~ならない」になります。また、先生も「させなければならない」になって、いきおいきつい指導をしてしまいがちです。本来、学校の先生が子どもにすることは、全部が指導である必要はありません。「~のほうがよい」アドバイスもあっていいと思います。
先生が言うことは、すべてが正しいわけではないです。これを、先生も自覚してほしいのです。指導するとなると、強制力がある以上、正しいと思うことしかできません。世間一般が正しいと考えいることであっても、ほんとうは間違っているかもしれない。いや、ほんとうに世間一般が考えていることなのか。そんなことを考えながら、指導というものはするものです。たとえば、教科指導であれば、指導要領も教科書もありますし、そこを根拠にできるでしょう。しかし、給食については、先生の考えのみが根拠になります。ですから、先生一人の考えを強要することはできません。あくまでもアドバイスになります。
ですから、世間も、自分たちの考えを先生に押し付けないでほしいのです。食育という言葉が流行っていますね。食について教えるのは大切です。食の勉強を通じて、いろんなことを学ぶことができます。給食もその一環にしたい気持ちはわかります。でも、それをすることで生まれる弊害を考えると、そう簡単にはいかないです。指導という強制力を使うには、それなりの配慮が必要です。子供の人権を考慮にいれるなら、今まで述べたように、食を指導するのは危険です。

2013年8月14日 (水)

「もったいない」の思想

「残すのはもったいない」たしかにそうです。せっかく作ったのに食べないなんて。作った人にも失礼ですね。僕は、出されたものは残さない主義です。僕も料理をしますから、残されたら、おいしくなかったのかなとか思って、いい気はしません。もっとも、中国や韓国では、食事を残すのがマナーなんですね。食べきれないぐらい出してくれてありがとうのメッセージだそうです。なるほど。そういう考え方もありますね。
なぜ残すのでしょうか。食べきれないからです。これは、お腹がいっぱいで食べられないこともあるでしょうし、体調が悪くて余り食べる元気がないからでもあるでしょう。食べられないものが出たからかもしれません。いずれにせよ、体やこころが拒否しているわけです。食べたくないって訴えてるんです。そんな状態でムリに食べさせる道理はありません。残させて正解です。
どうしても残したくなければ、食べられるものだけ食べられる量を食べたらいいのです。なにも、みんな一緒の物をいっしょの分だけ食べる必要はどこにもありません。子供一人ひとり必要な物や量は違います。栄養学で、何歳はこれをこれだけと言われても、それは平均的な値を言っているだけで、すべての子どもに当てはまるものではありません。一人ひとりを尊重するなら、個々の違いを認識するべきで、みんないっしょを押し付けるべきではありませんね。
よく、「貧しい国では食べられない子どももいるのだから、残すのは申し訳ない」と言われることがありますね。僕は、この言い方もどうかと思うんです。先に言いましたが、残すということは、その子どもにとって過剰だということなんですね。問題はその過剰だと思うんです。多すぎるから、食べられない。ですから、たくさん出さなければいいだけの話でしょう。貧しい子どもたちのために、他の子どもがよけいに食べなければならないなんて、おかしいと思いませんか。
「もったいない」は、残すからもったいないのではなく、過剰に作るからもったいないのです。過剰に作るのをなくせば、もったいないことはないです。マータイさんは、そこを言っておられたのではないでしょうか。

2013年8月13日 (火)

食事はその人自身です

前にも述べましたが、宗教の教えで食べられないものがある場合があります。宗教といえば、日本ではあまり力がないように思いますが、信仰している人にとっては、その宗教の教えは自分自身そのものです。ですから、他人の宗教を否定するということは、その人自身を否定することになるので、すさまじい人権侵害ですね。その宗教が食事についても教えているのなら、その人の食事もまた、その人自身になります。食べられないものを強要されることは、人権侵害です。
食事がその人自身であるのは、なにも宗教の側面からだけではありません。最近は、栄養についてもいろんな説が流れていて、どれを信じていいかわからない状態ですね。たとえば牛乳。牛乳は、戦後から給食に必ずついてくるものです。高タンパク質ですから体を作るのに適している。カルシウムも豊富で、こころの安定に効果がある。なんて言われていますね。でも、最近は、牛乳体に悪い説が広がっています。どうやら、特に日本人は牛乳のカルシウムを吸収しにくく、また、牛乳に入っている成分でこころが乱れるのだそうです。
科学の常識は変わりますからこういうことがあってもおかしくはないですが、真正面から対立する見解が出されたら、どっちの考えがいいのかわかりませんね。学校給食は管理栄養士さんが考えますから、栄養の専門家が作る分信用できそうです。でも、反対の考えをしている人もまた、栄養の専門家です。
そこで、どちらの説をとるか。この選択は、学校がするべきではなく個人がするべきです。自分の体を作るのは自分なんですから、他人に言いなりで作るべきではないですね。そもそも学校が言うことが全て正しいわけがないんですから。ありえない話ですが、もし牛乳を飲んで体やこころが不具合を出したら、学校は責任をとってくれますか。ムリですね。
食事がその人を形づくる以上、何をどれだけ食べるかの選択は、宗教の教えでなくてもその人自身です。ですから、これを否定するのは、人権侵害になります。

2013年8月11日 (日)

食べられないとはどういうことか

よく、好き嫌いと言いますね。好き嫌いはよくないと。なんでも食べられる人になりなさいと。実は僕は、好き嫌いがないんです。少し前までは牛乳が全くダメでしたが、あるときなんとなく飲んでみると、おいしく飲めたんですね。これを好き嫌いの克服といえばいえるんでしょうけど、なんともあっけない感じで、こんなものかと思いました。
でも、ダメだった時は本当にダメで、牛乳を口に入れたとたんに、胃に入っているものまで全部吐いてしまいました。体が受け付けないんですね。さらに、あの牛乳をのんだあとに口に残るなんともいえない味というか香りというか、あれでもう、こころまで折れてしまいました。好き嫌いって、人によって程度がありますが、ほんとうに体やこころが受け付けない好き嫌いもあるんですね。僕が特別支援学校にいた時に出会った児童ですが、ものすごい偏食で、食べられるものはわずかで、それ以外のものを口に入れると、やっぱり嘔吐しましたね。給食指導は難儀しました。
また、宗教の教えで、食べてはいけないものがある場合もあります。イスラームでは、豚肉を食べません。クルアーンの教えで豚肉は食べてはいけないとされているからです。豚肉は腐りやすく、昔の衛生状態では腐った肉を食べる可能性が高く、食中毒で死ぬ人が多かったためと言われています。ですから最近では、衛生的な豚肉は食べても良いと考えるムスリムもいるみたいですね。ですから、豚肉を食べるということは、イスラームの教えに反することになります。
このように、食べられない、とは、食べられる人が想像できない世界なのです。そんな、食べられる人の理屈を食べられない人に押し付けるのは、僕はどうかと思うんですね。好き嫌いってどういうことか。その世界について、もっと理解がほしいですね。そして、そんな食べられないことを受け入れられる世の中であってほしいと思います。

2013年8月10日 (土)

給食の法的根拠

「残さず食べなさい」の法的根拠は何でしょうか。給食の法的根拠としては、「学校給食法」があります。この法律を少し見てみましょう。

給食の目標として7つ挙げれれています。
第二条  学校給食を実施するに当たつては、義務教育諸学校における教育の目的を実現するために、次に掲げる目標が達成されるよう努めなければならない。
 適切な栄養の摂取による健康の保持増進を図ること。
 日常生活における食事について正しい理解を深め、健全な食生活を営むことができる判断力を培い、及び望ましい食習慣を養うこと。
 学校生活を豊かにし、明るい社交性及び協同の精神を養うこと。
 食生活が自然の恩恵の上に成り立つものであることについての理解を深め、生命及び自然を尊重する精神並びに環境の保全に寄与する態度を養うこと。
 食生活が食にかかわる人々の様々な活動に支えられていることについての理解を深め、勤労を重んずる態度を養うこと。
 我が国や各地域の優れた伝統的な食文化についての理解を深めること。
 食料の生産、流通及び消費について、正しい理解に導くこと。
ここで、「残さず食べなさい」指導の根拠になるのは、1の「適切な栄養の摂取」でしょうか。たしかに、給食は適切な栄養の考えに基づいて作られているから、残したら適切な栄養を摂取できませんからね。そこで、第十条をみますと
「食に関して特別の配慮を必要とする児童又は生徒に対する個別的な指導その他の学校給食を活用した食に関する実践的な指導を行うものとする」
とあります。これは、アレルギーや病気などで食事制限がある子どもを念頭に書かれたものであると思われがちですが、「特別な配慮」とだけあって、その配慮が、宗教的文化的なものも含むと考えてもおかしくありませんね。法律ってよくできていて、もし「医学的に」とか限定するようなことを書くと、あとに述べるイスラームの子どもなどに配慮しなくてもいいことになってしまいますので、そうならないように幅をもたせています。
いずれにせよ、「特別な配慮」をしながら「栄養の摂取」をするということですから、どんな栄養の摂取させるのかは、個々に配慮することになっています。今のように、みんな同じ物を同じだけ、ではないということです。ですから、「残さず食べなさい」は、学校給食法の精神に反すると言わざるをえません。
下に、学校給食法のリンクを貼ります。興味のおありな方は、一読をおすすめします。

2013年8月 9日 (金)

「残さず食べなさい」の強要は人権侵害です

「残さず食べなさい」。給食の時に指導された方も多いでしょう。最近では、学級の残飯ゼロを目標に、出されたものは全部食べさせる指導をしている先生がおられるようです。先生の中には、時間内に食べられない子どもを、給食時間を過ぎて休み時間になっても教室に残して食べさせている人もおられるようです。今時そんな先生がいることに驚きです。この指導、はっきり言って人権侵害です。
人は誰しも、何をどれだけ食べるか、自分で決める権利があります。食事はその人の体を作るものである以上、自分の体をどのように作るかは、その人の自由です。ですから、食事を他人に強制される筋合いはないのです。
これが、イスラームの子どもだったらどうでしょうか。イスラームの子どもに豚肉を食べさせたら、国際問題になって、その子の国の外務省を通じて抗議が入り、その先生はクビが飛ぶでしょう。実際、昔ベジタリアンのインド人をだまして肉を食べさせたビジネスマンがいて国際問題になりかけました。少年院や刑務所でも食事の禁忌については敏感で、その人が食べないものは強要しません。
それくらいデリケートな問題である食事の強要が、学校ではゆるくなっているのはなぜでしょうか。次回から、「残さず食べなさい」指導の根拠について、個々にみていきます。