発達障害

2015年2月18日 (水)

少年院基礎知識~発達障害を持つ少年

少年院は「分類処遇」という,少年をその特性や環境などによっていくつかのパターンに分類して処遇しています(「処遇」とは,教育や生活などその少年にかかわることすべてと思ってください)。で,どんな分類があるのかというと,手に職をつけてもらう「職業能力開発課程」,中学校や高校の勉強をする「教科教育課程」,普通の生活をちゃんとできるようになってもらう「生活指導課程」などなど。
で,各少年院は,自分ところは「職業能力開発課程」,とか,自分ところは「生活指導課程」,とか,どっちもとか,持っている課程が違います。ですから,同じ犯罪をした少年たちでも,鑑別所で「この子は生活指導課程に行ったほうがいいな」と判断された少年はその課程がある少年院に行きますし,「この子は職業能力開発課程だな」と思われたらそっちに行きます。
で,その分類の中に「特殊教育課程」というのがあります。これは,知的障害や情緒障害などを持つ少年が入って,社会で生きていくための教育を受けます。この課程があるのは医療少年院です。
今話題の,発達障害がある少年ですが,集団生活ができる少年は,「生活指導課程」などのある,医療少年院以外の少年院に行きます。集団生活ができないなと思われる少年は,「特殊教育課程」に行きます。ですので,「生活指導課程」などに,集団生活ができないなっていう少年が来ることはまれです。僕もほんとうに数えるほどしか覚えがありません。もちろん,集団生活はなんとかできるけど,みたいな子はたくさんいますので,「特殊教育課程」でなくても,先生たちの,発達障害に対する興味は大きいです。だってね。少年たちに集団生活してもらわなかったら,そもそも矯正教育はできないんですから。
その「特殊指導課程」は,一応基準に「情緒障害など」とあるんですが,主になるのは集団生活ができない子です。発達障害だなと思われる子もたくさんいます。そういった子を社会で何とか生きていってもらうために,先生方はがんばっておられます。
ですので,少年院は発達障害を無視していたわけではありません。いや,昔からほかの教育機関よりも正面から取り組んでいたと言ってもいいかなと思っています。

2014年4月16日 (水)

「定型」発達ってなに?

発達障害関係の話で「定型」発達という言葉がよく出てきます。まあ、障害がない普通の発達というぐらいの意味なんですが、僕はこの言葉が好きではありません。

この言葉には、2つの意味が含まれているように思うんです。1つは「発達には定まったかたちがある」という考えです。そもそも子どもの発達は、子どもによって違いますね。いわゆる「定型」発達の子どもでも、発達のかたちは人それぞれです。これは子どもを見れば一目瞭然です。

では、にもかかわらずなぜ「定型」発達という考えができたのでしょうか。実は、子どもの発達をたくさん見ると、どうやら同じような発達の仕方をしているように見えるんです。で、調べてみると、ある傾向があることがわかります。それで、発達には定まったかたちがあるのではないかと思われるんですね。

その考えは正当だと思うんですが、ここで注意すべきは、「多くの子ども」に共通の「傾向」がある「ように見える」ということです。つまり、あくまでもざっくりとした共通の発達であるにすぎないのです。ですから、その傾向にない発達をすることもじゅうぶんに考えられるので、別に定まった発達の仕方が「ある」わけではないのです。定まったかたちではないものを定まっているように言っているのに抵抗があるのです。

もう1つは、「定まったかたち」といった言葉には、定まっていないものに対するネガティブな印象を持たせるニュアンスがあるということです。決められたかたち以外はいわば不良品のように思われる市場主義の世の中で、定まったかたちをむりやり決めて、そのかたち以外を、いわば異形のように評価する。差別の構造が見えるのです。

もちろん、心理学などの学問上、「定型」発達を想定するのは、問題ありません。そこにはなんの価値判断はないのですから。ただ、ある傾向がある、それだけです。しかし、世の中はそんな価値判断をしないで済むわけではありません。やはり、価値づけして選別する仕組みがあるわけです。その仕組みに、発達心理学の理屈が使われている。とても危険なことだと思わざるを得ません。

「定型」発達という言葉に接すると、子どもはみんな違うんですよ、一人ひとりを尊重しなければなりませんよと言いながら、実は子どもを選別し差別しているように思ってしまうんです。子どもは、発達のかたちがどうであれ尊重されるべきです。言葉は気をつけて使わなければ、意図せずして新しい差別を生むことになりかねません。